互先に目覚める

プロは互先以外の碁のことを真剣に考えることはたぶん(置碁の本を執筆中とかでなければ)あまりないんじゃないかと思う。こないだの「経営と囲碁」で、青葉かおり四段にそういう趣旨の質問をしたら「プロ同士の対局はすべて互先ですから...」と、なぜそんなことを聞くのかわからない、といった返事だった。

でも、最近になるまで、互先の碁を打つのは多くても月に数局だった。アマチュアは打ち碁の大半が置き碁なのである。点数制のサークルだと一見互先でもコミが微妙なので、いわゆる「正規の互先」というのはほとんどゼロに近くなる。

プロは、「アマチュアはほとんど互先を打たない」ということをどのくらい意識しているのだろうか。囲碁の雑誌などを見ても記事の大半は互先について書かれている。

それを思うようになったのは、参加人数の多いネット碁をはじめたからだ。そこでなら互先だけを一日中打ち続けることができる。毎日10局も20局も互先を打っていると、「六目半のコミの大きさ」というのがなんとなくわかってくるような気がする。

形勢判断はもちろん数値的なもので、知的な作業なのだが、そこにある種の「感覚」もあるような気がする。打つたびに手合いが違うのでは、その形勢判断のもとになる感覚が育ちにくいんじゃないだろうか。(いつもチューニングの違う楽器を弾いている、のに似ているか)。

同じ手合いを続けて打つことによってはじめて形勢判断のもとになる絶対音感みたいなものが育つ、ような気がするのだ。棋力を省みない発言ではあるけれど。

「盤面5目と盤面10目の間に勝ち負けがあるのだ」ということが理屈でなく感覚でわかれば、ずいぶん形勢判断が明晰になる気がする。

というわけでいま互先に目覚めていて、ひさしぶりに「互先の布石」なんか勉強しちゃったりしているのである。
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by hastadomingo | 2005-06-29 17:30 | 囲碁
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