チェスは序盤記憶のゲームではない。

まずはじめに断っておきますが、私はチェスにとくに詳しい者ではありません。ある本の感想として、その本から「チェスは序盤記憶のゲームではない」というメッセージを受け取った、というだけの意味ですので、誤解のないように。

DISに「クレイジー・チェス」という本が置いてあった。見るとフランス語でサインがしてある。この本の著者のジャック・ピノー氏がDISに来て置いていったらしい。少し読んでみたら面白そうだったので、その本とは別に、買って読んでみた。

エッセイの多い本で、チェスにそれほど詳しくない私にも読みやすい。途中でステファン・ツヴァイクの「チェスの話」という小説が紹介される。あらすじを書くだけでも長くなるので細かいことは省略するが、そこに書かれているのは、相手を無視して自分の読みと記憶だけでチェスを打つことの無意味さ、だと思った。

つまり、チェスの序盤というのは記憶でできているようでいて、実はそうではない。相手との相互刺激によって生まれる創造的なものである、ということを言いたいように、私は感じたのです。

実は最近の将棋についても、コンピュータ分析で序盤の有利不利については完全に記憶の世界に入っている(だから私は将棋を指す気がしない)と思っていたので、それよりもっと分析が進んでいるだろうチェスで、こういうふうな、クリエイティブというか、希望的な意見が書かれていたので、ちょっとホッとしたのであります。

そうだよねえ。そうでなければあんなに多くの人がいまだにチェスを指している(チェスは「打つ」の?「指す」の?)はずがないもんね。

もちろんそれにもまして囲碁の序盤は相互交流であって記憶のゲームではありえません。実はこれを言いたかったのかもね。
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by hastadomingo | 2006-10-01 00:40 | 囲碁
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