カテゴリ:囲碁( 19 )

なにか の 誕生日

お誕生日おめでとう

たぶん、こちらのブログは読まないで書いているんでしょ。
だったら「いい勘」だねー。

誰かの誕生日、ではなくて、なにかの誕生日 という書き込みをしたんだ。
書き込みはこの前の日付ね (次のページ)。
誕生日は、えーと 「きのうからきょうにかけて」。
[PR]
by hastadomingo | 2007-02-21 15:49 | 囲碁

内マガリ定石 誕生五十年

マニアックな話題で恐れ入ります。

本日、2007年2月20日は、大ナダレ定石「内マガリの新手」が初めて公式の碁で打たれてから、ちょうど50年になる。

その碁は、読売新聞主催の第1期日本最強決定戦の対局。黒は呉清源九段、白は高川秀格本因坊(当時)。

昭和32年2月20日、21日の二日にわたって、熱海伊豆山の美晴館で打たれた。と記録に残っている。

それが、今日からちょうど50年前のことなんだなァ。
前半、黒37手めが「内曲がり」だから2月20日に打たれたんでしょう。

小目の布石が復活してきたようで、最近、わりあいとナダレになったり、なりかけたりすることがある。

この前、酔っちゃんと打った碁も、たまたま大ナダレになった。口では「さァ来い!」と威勢良く言ってはみるものの、お互い「?」の世界で、見る人が見たらきっと急所に大穴のあいたオソロシイ碁を打っていたに違いない。

明日は水曜日でDISの例会だ。五十周年を記念して内マガリ定石が打てれば、それもまた一興でありますね。
[PR]
by hastadomingo | 2007-02-20 23:20 | 囲碁

詰碁の効用

夜遊びをしなくなったのは、ほとんど、まあ、すべて、身体のせいだけど、おかげで本を読む時間が増えた。週に一回図書館に行って、本を10冊とCDを3枚借りるという生活が続いています。

あと、詰碁。

詰碁がキライな人は多いようですが、私はあまり苦になりません。夢中になって考えているうちに電車を乗り過ごしそうになるなんてのはざらにあるくらい。うーっとうなるように深く考えに入っていくのは楽しいです。パズルにはまる人がいっぱいいるわけで、考えたり悩んだりするのはそれ自体が楽しさを持っているものなのでしょう。

以前から持っていて解いていなかった詰碁の本はゴマンとあるので、その中から一冊、いま石田章センセイのをやっています。抜き跡に打つ筋が多く含まれる詰碁集で、なかなか難しい。

年末年始の休みに詰碁の本を読んでいたおかげで、正月最初の石音の碁会ではけっこう破綻のない碁を打つことができて、まあ、そういう意味でも充実してるようです。
[PR]
by hastadomingo | 2007-01-12 18:06 | 囲碁

チェスは序盤記憶のゲームではない。

まずはじめに断っておきますが、私はチェスにとくに詳しい者ではありません。ある本の感想として、その本から「チェスは序盤記憶のゲームではない」というメッセージを受け取った、というだけの意味ですので、誤解のないように。

DISに「クレイジー・チェス」という本が置いてあった。見るとフランス語でサインがしてある。この本の著者のジャック・ピノー氏がDISに来て置いていったらしい。少し読んでみたら面白そうだったので、その本とは別に、買って読んでみた。

エッセイの多い本で、チェスにそれほど詳しくない私にも読みやすい。途中でステファン・ツヴァイクの「チェスの話」という小説が紹介される。あらすじを書くだけでも長くなるので細かいことは省略するが、そこに書かれているのは、相手を無視して自分の読みと記憶だけでチェスを打つことの無意味さ、だと思った。

つまり、チェスの序盤というのは記憶でできているようでいて、実はそうではない。相手との相互刺激によって生まれる創造的なものである、ということを言いたいように、私は感じたのです。

実は最近の将棋についても、コンピュータ分析で序盤の有利不利については完全に記憶の世界に入っている(だから私は将棋を指す気がしない)と思っていたので、それよりもっと分析が進んでいるだろうチェスで、こういうふうな、クリエイティブというか、希望的な意見が書かれていたので、ちょっとホッとしたのであります。

そうだよねえ。そうでなければあんなに多くの人がいまだにチェスを指している(チェスは「打つ」の?「指す」の?)はずがないもんね。

もちろんそれにもまして囲碁の序盤は相互交流であって記憶のゲームではありえません。実はこれを言いたかったのかもね。
[PR]
by hastadomingo | 2006-10-01 00:40 | 囲碁

なにをやらないか決める

ふと、気づく。

「すべてを思い通りにしようとすると必ず失敗する。」 うーん。 私が囲碁で負ける原因はこれだなあ。

級位者に石をたくさん置かせて猫が鼠をからかうようにして勝つのはキライじゃないけど、それは「全部を思い通りにしている」気がするからかもしれない。そしたら、それはちっとも勉強になっておらずむしろ間違った考え方を助長しているんじゃないか。

全部を思い通りにしない、ということは、つまり、できない場所、やらないことを決めるってことだよなあ。局面を見て自分はなにをやらないか決める、そういう眼で見れば多少碁が変わるかもしれないなあ。やってみようっと。
[PR]
by hastadomingo | 2005-09-29 16:28 | 囲碁

なんで負けるんだろう?

囲碁で負けると考えます。

「なんで負けるんだろう」
「弱いから」
「なんで弱いんだろう」
「馬鹿だから」

うーん。そういわれると身も蓋もないけど、ちょっと違うんじゃないか。

自分の力を出しきった感じがして負ければそれは力が足りなかったからということで、むしろせいせいした感じがするんだけど、問題は、なんとなく自分の力を出し切れなかった感じで負けたときだなあ。

「それが実力だってば」

うるさい。

なんとなく、浮わついた感じでパコパコ打って負けるときがあるんだよなあ。ちゃんと一手一手読みが入ってなくて、見当で打って負けると、底が浅い感じで哀しい。

「精神的に弱いのかも。それと飲みすぎ」

... あんた、誰なの?
[PR]
by hastadomingo | 2005-08-12 01:16 | 囲碁

アマ十傑戦

海の日の休日、暑いなかをアマ十傑戦の大盤解説を聞きにいきました。

朝日新聞の主催だからか、解説は張栩名人。聞き手は酔っちゃん。決勝戦にわれらが洪さんの姿があると思ったのですが、あれれ。

名古屋予選で去年の優勝者を破ったはずの洪さんがなぜいない?

実はまさかの二回戦敗退で、洪さんを破った田中伸拓さんが決勝戦に駒を進めていたのです。張栩名人の解説は丁寧でわかりやすかった。酔っちゃんはいつもの名調子、と思ったのですが、十傑戦の優勝者を「アマ十傑?」と呼ぶなど得意の大ボケ。朝日主催だって後ろに旗が飾ってあるでしょう。アマ十傑戦の優勝者はアマ名人だよん。

結局は田中伸拓さんがアマ名人に。「日本で一番強いアマ」を目の当たりにしました。洪さんとの対局が事実上の決勝戦だった、といえるかもしれません。

そのあと神宮外苑のビヤホールでビールを飲んで(暑い日だったので最高!)、ヤクルト読売戦を見に行きましたが、石川いいとこなし。古田の一発だけの敗戦でした。それにしても古田は見るたびに足が遅くなっているなあ。もう来年は現役苦しいかも。

というわけで、よい休日だったの巻。
[PR]
by hastadomingo | 2005-07-18 22:58 | 囲碁

美女の部屋に行ったら碁盤があった の巻

美女の部屋に行った。
他の友達も一緒だよー (念のため)
SHIT!しないでね

そしたら、碁の本と碁盤があった。
このmy碁盤を見てくれ。
あー、なんてマジメに碁に取り組んでるやつ。 って、いうのかなー...

(でも置くとこに困っているらしい)
[PR]
by hastadomingo | 2005-07-14 23:19 | 囲碁

ネット碁は荒れるか

ネット碁はどうも真剣に打てなくて「手が荒れる」とよく言われる。
たしかにそういう傾向があるのは事実だが、
これは冷静に考えてみれば別にネットが荒らしているわけではない。
「荒れる自分がいる」 それだけのことである。

なんで相手が目の前にいないと手が「荒れる」のか。

「ワープロではちゃんとした文章が書けない」という主張もまた多いが、
じゃあ筆で書けば名文になるのか。

手法とか対象に原因があるんじゃなくて、自分に原因があることが多い。
そう思えば反省することは多いです。

え?こんな男だから愛せない!? 
反省しなさい!
[PR]
by hastadomingo | 2005-07-04 02:21 | 囲碁

互先に目覚める

プロは互先以外の碁のことを真剣に考えることはたぶん(置碁の本を執筆中とかでなければ)あまりないんじゃないかと思う。こないだの「経営と囲碁」で、青葉かおり四段にそういう趣旨の質問をしたら「プロ同士の対局はすべて互先ですから...」と、なぜそんなことを聞くのかわからない、といった返事だった。

でも、最近になるまで、互先の碁を打つのは多くても月に数局だった。アマチュアは打ち碁の大半が置き碁なのである。点数制のサークルだと一見互先でもコミが微妙なので、いわゆる「正規の互先」というのはほとんどゼロに近くなる。

プロは、「アマチュアはほとんど互先を打たない」ということをどのくらい意識しているのだろうか。囲碁の雑誌などを見ても記事の大半は互先について書かれている。

それを思うようになったのは、参加人数の多いネット碁をはじめたからだ。そこでなら互先だけを一日中打ち続けることができる。毎日10局も20局も互先を打っていると、「六目半のコミの大きさ」というのがなんとなくわかってくるような気がする。

形勢判断はもちろん数値的なもので、知的な作業なのだが、そこにある種の「感覚」もあるような気がする。打つたびに手合いが違うのでは、その形勢判断のもとになる感覚が育ちにくいんじゃないだろうか。(いつもチューニングの違う楽器を弾いている、のに似ているか)。

同じ手合いを続けて打つことによってはじめて形勢判断のもとになる絶対音感みたいなものが育つ、ような気がするのだ。棋力を省みない発言ではあるけれど。

「盤面5目と盤面10目の間に勝ち負けがあるのだ」ということが理屈でなく感覚でわかれば、ずいぶん形勢判断が明晰になる気がする。

というわけでいま互先に目覚めていて、ひさしぶりに「互先の布石」なんか勉強しちゃったりしているのである。
[PR]
by hastadomingo | 2005-06-29 17:30 | 囲碁